生物としての最も根源的な行為こそ「遊び」である!

 少し前に、そもそも遊びとはなんだろう?という疑問を持ち始めたわけなのですが、

 

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 今回は、この問いに対して答えを見出すための第1歩!

 

ホモ・ルーデンスを読み解いて行こうと思います。

 

 

 

 

 

1:文化と遊び

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 ホモ・ルーデンスでは、文化は遊びによって作られたものであると主張しています。

 

 

最初は単純だった遊びが遊ぶ行為をより楽しくするために高次元していった結果文化が形成されたのです。

 

 

 

つまり、文化とは遊びの軌跡、遊びの発達の跡であるのです。

 

 

 

 

 

 

2:生物はみな遊ぶ

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 人間だけでなく、動物でも(もしかしたら植物も)みな遊びます。

 

 

 

 

つまり、遊びとは何か考えて、理性の力を使って行う行為ではなく、

生物の機能の1つとして最初から備わっているのではないのかと思います。

 

 

 

 

すべての生物が遊ぶとしたら、なぜ人間だけが文化を形成することができたのでしょうか?

 

 

私は、ここにこそ、つまり、文化を形成するのには理性の力が必要であると考えます。

 

 

 

アリストテレスによれば、人間と他の生物との違いは考える力を持っているかどうか、理性があるかどうかです。

 

 

 

生物はみな遊びますが、人間の場合はただ遊ぶのではなく、その遊びをより面白くしようとする理性の力が働くのです。

 

 

 

 

遊びの次元は違えども、生命体はみな遊ぶことに変わりはありません。

 

 

 

 

遊びとはどんな行為にも勝る、まさに天から与えられたものなのです!

 

 

 

 

 

3:遊びには必ず特有の意味がある

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 遊ぶ能力が生まれつき備わっているとしたら、生物はみな遊ばなければなりません。

 

なぜなら、与えられたものを使うことがすなわち正しく生きることであると考えるからです。

 

 

 

神様は不必要なものを与えるでしょうか?

 

 

生きる上で遊びが必要だからこそ、最初から備わっている能力であり、

遊ぶ能力をフル活用することが善く生きることだと考えます。

 

 

 

 

 

 

ちょっと話は逸れてしまいましたね。

 

遊びは生理学的(身体を維持するために必要な)行動ではありませんし、

なぞなぞのように身体を常に使う行動でもありません。

 

 

 

 

つまり、遊びにはどのカテゴリーにも属すことができない、遊びそのものだけの特別な意味があります。

 

 

 

生きるために必須の行動ではないのですが、なぜか生物はみな遊ぶ能力を持っているのです。

 

 

 

 

この点から遊びには、誰も気づいていないが、かなり重要な意味合いが隠されていることがわかります。

 

 

 

 

 

 

 

まとめ:遊びには計り知れない大きな力が潜んでいる

 ここまでの考察から、遊びには得体は知れないが大きな可能性が潜んでいることをお分かり頂けたと思います。

 

 

 

遊びによって文化ができるわけですから、それはそれは大きなパワーです。

 

 

 

 

この遊びのパワー、私たちが本来持っている強い力を使わないわけにはいきませんよね??

 

 

 

 

遊びのパワーを自分の人生でうまく使うことができたら、遊びの力を仕事で活用することができたらものすごい功績を残すに違いありません!

 

 

 

私は、誰もが持っているこの遊びの強烈のパワーを引き出すにはどうすれば良いのかについてこのブログにご紹介しています。

 

少しでも、あなたの潜在的能力、遊びの強烈なパワーを開花させることの手助けをできればなぁと思っています。